2008/11/27

[旅行] 日本 8日目 田中角榮記念館

今日は東京から岐阜へ移動するのだが、ただ単に新幹線で名古屋まで行くのでは面白くないので、これまで行きたかったのに機会がなかった新潟の田中角榮記念館に寄って行くことにした。

4時に起きて6時にひろこの実家を出て、7時8分東京発のとき305号で長岡に向かう。


東京駅でパンを買って朝食にした。9時8分に長岡到着。9時35分の越後交通バス柏崎駅前行きで「小坂下」というバス停に向かう。


途中まではさすが土建王国を思わせる立派な道路だったが、長岡駅から20分も走るとぐねぐねの狭い田舎道になり、山の中をさらに20分ほど進み10時10分ごろ目的のバス停に着く。「小坂下」は角栄の父田中角次が「(角栄が越後交通社長だったので)社長の家の前にバス停がないとはどういうことだ」と文句を言って作らせたらしい角栄ゆかりのバス停だ。そのせいか前のバス停「坂田三叉路」から1分もかかるかかからない距離にある。


「小坂下」のバス停は角栄の家のまん前ではないが、南端にある。バスを降りて坂を少し上ると「田中直紀 真紀子」と表札の出ている家があった。これが建築業者がただで角栄に建ててやったという総檜造りの家だ。失礼かとも思うが角栄のファンなのでこっそり素早く写真を撮らせてもらい、記念館に向かう。



記念館はバス停からも見える丘の上にあるのだが、田舎で道が田んぼのあぜのようにぐねぐねしているので行くのには苦労した。記念館は400円。平日の午前中ということもあって客はだれもおらず、親切に荷物を預かってくれた。まず最初に角栄のビデオを見せられる。最初は30代だと思われる映像で、美空ひばりと共に出演したトークショー番組、次に66歳のときというインタビュー。ビデオの上演は15分。ビデオの部屋には角栄の大臣就任時の写真や真紀子の婚礼写真、家族のスナップなどが飾られている。次に記念館の展示を見て回るが、まず角栄が落選した最初の選挙のポスターが展示されている。聞くと本物だとのこと。よく残っていたものだ。隣に角栄の略歴が説明されているが、衆議院議員当選といった経歴は紹介されているものの、炭管事件、ロッキード事件での逮捕などのネガティブな経歴は見事にスルーされている(まあ誰もが知っているので書く必要はないかもしれないが)。記念館のオバサンは角栄をいまだに「先生」と呼び、信奉している様子だ。展示室は主に3室。最初の部屋は角栄の揮毫や遺筆が主で、字がうまいのにびっくりする。中央の展示ケースには、角栄の扇子や馬主登録証が展示されている。次の部屋には、角栄所有の日本画が展示されており、中央には角栄が目白の事務所で使用していたという机があり、座ってもよいとのことなのでせっかくなので座って「よっしゃよっしゃ」と言ってみた。最後の展示室は角栄の目白の応接室を再現したもので、ソファや吉田茂像、越山会のシンボルマークをフレームに入れたものなどが置かれ、壁際には本物かどうかはしらないが選挙関連などのスクラップブックを入れた棚が置かれている。部屋の隅には旧式の大型テレビがあるが、説明してくれたオバサンによると、日本初のカラーテレビだという。全体的に見ると、展示はそれほど豊富ではないと思うが、中越沖地震でこの記念館もかなり被害を受けたらしく、それで壊れたものなどもあるとのことで、残念なことだ。それでも客が少なかったからか(われわれ以外に4、5人いたので、平日の午前中にこの田舎でそれだけいれば人気があるということかもしれないが)、オバサンがとても親切に説明してくれてありがたかった。ちなみに角栄記念館は内部撮影禁止なので写真はない。


角栄記念館に1時間半くらいいただろうか。12時過ぎに記念館を出て、同じ敷地内にある食堂「角さんの台所」で昼食にする。ここは角栄も好きだった郷土料理を出すというのが売りで、代表的なメニューはのっぺ定食。われわれもそれを食べてみた。11種類の具の入ったのっぺ汁、サラダ、味噌を乗せた豆腐、おにぎり2個で昼食としては十分なボリューム。さといもが嫌いなのでのっぺ汁はどうかと思ったが結構おいしく食べられた。こしひかりを使ったというおにぎりは美味。



12時30分過ぎに食堂を出たが、次に乗る柏崎行きのバスは13時10分発なのでまだ時間がある。そこで角栄記念館の隣にある「西遊館」に行っみたが、孫悟空などの石像がある庭があって、あと中国風の建物の中はお茶など中国関連の物品の販売所になっていた。無料のお茶をもらって、あとはつまらないのですぐに外に出た。


バス停に早めに向かい、時間が余ったので今はだれも来ていないという真紀子の家をもう一度ゆっくりと写真に撮った。バスは予定が13時10分のところ10分ほど遅れてやってきた。長岡から来たときは乗合車だったが、こんどは観光バスのような車両で、前にしか乗降口がないので乗降に時間がかかるが、もちろん乗り心地はよい。柏崎までは越後線沿いを走るが、電車が走っているのを見たので、帰りは電車にしてもよかったと思う。


13時43分柏崎着の予定だが、10分くらい遅れた。柏崎では40分ほど時間があって、駅前に出てみたが、ホテルが2軒あるていどであとはシャッター街のようになっていて寂れていた。



特にすることもないし改札を入らないと座る椅子もないので、早めにホームに行って電車を待つ。14時23分発の金沢行き「北越5号」に乗車。電車は子供のころ乗ったことのある国鉄特急型485系で、車内は更新されているようだが国鉄塗装だった。最初6号車に乗るが、テーブルがないので5号車に移動、さらに4号車のほうがいすが座面が動くタイプで微妙にいいので再度移動した。車両によって座席がいちいち違うのはおかしい。線路が悪いのかもしれないが、この列車はすごく揺れて乗り心地が悪かった。外もよく見るとぼろぼろなので、電車がもうがたが来ているのだろう。これで特急料金を取るのはちょっと法外だ。



列車は右手に日本海を見ながら柿崎、直江津、糸魚川、魚津、黒部に止まり、富山に16時2分に到着。



次に乗るひだ号まで1時間ちょっとあるのでその時間を使って富山観光に出かける。駅近くに富山城があるので行ってみる。どこかで徒歩10分と書いてあるのを見たが、かなり急いだのに10分以上はかかった。富山城は明治の廃城令で破却してしまったので本物は残っていないのだが、現在のものは室町時代から神保氏、佐々成政、前田氏などが城郭を築いてきたところに模造天主を築いたものだ。200円払って急いで3階の天主展望台に上りまわりを眺め、展示を簡単に見て15分ほどで城を後にした。展望台はそれほど高い位置にはないので眺めはあまりよくない。富山城のある公園は見事に紅葉していてきれいだった。



17時10分発のひだ号に乗るが、富山駅3番線の位置がわかりにくくて迷った。列車に乗ってすぐ富山駅で買った5個入りの小型ますのすしをひろこと分けておやつに食べた。5時すぎではもう暗くて外は見えない。特に猪谷から先、台風被害で一時不通になり改修した部分は見たかったので残念だ。また前回2000年ごろに富山からひだに乗ったときは自由席車が高山まで先頭車だったが、JRもいちばんいい席を自由席にしておくのは惜しいと思ったのか自由席は中央の2号車に変更されていた。仕方がないので寝たりしているうちに20時18分に美濃太田に到着、実家に帰った。夕食はすき焼きだった。